岡本中華の歴史

屋台からはじまる岡本の歴史は、徳島ラーメンの歴史
INTRODUCTION

昭和30年台後半の最初の店舗

1951年 戦後間もない小松島港の近くで、チャルメラ笛の音を響かせながら、華月岡本は屋台から営業を始めました。

半世紀以上の時代の流れの間に、小松島線の廃線など、街の姿は移ろい、人々の流れも変わっていきました。当店も何度か建替えや移転を経て、現在では三代目の福井雅人が店主となりましたが、創業時から小松島の皆様に愛されてきた、中華そばの味だけは守り続けております。

初代 岡本清一から二代目 岡本清が吹いていたチャルメラ。
その音色こそ今は聞こえないが,店内では三代目 福井雅人が今も守り続けている岡本中華伝統の音色がこだましている。

創業当時、小松島駅前で屋台を引いていた頃、線路の一部を頂きトンコツを破砕する為に使っていた伝統的部品の一品。初代岡本清一より二代目へそして三代目へ引き継がれた今もこの部品を使いトンコツ破砕をしています。

三代目福井雅人が引継いでから以降は徳島ラーメンが全国で尚一層注目されるようになり、有名店はカップ麺まで販売されるようになった。当店もその一軒に選んで頂きカップ麺が店頭に並んだ時の物です。

岡本中華のあゆみ
CHRONOLOGY

昭和26年 小松島港周辺で知り合いと資本を出し合い、屋台をひきだす。
屋台の名は『華月岡本』電話番号は653その電話番号は今も変わらない。
昭和35年 日の峰通りに店舗をかまえる。この時店舗名が『岡本』になる。
昭和40年 店舗を木造から鉄筋に建替え
昭和45年 初代から二代目へと引き継がれる
平成9年 三代目(現店主・福井雅人が)手伝いを始める
平成16年2月 道路拡張のため現店舗に移転 二代目より三代目に引継ぐ
平成17年 サークルKサンクスより、当店監修のカップ麺が発売される。
平成18年 当店監修の箱入りラーメンが発売される。
平成19年~21年 はなはるフェスタ出場。

岡本写真館
PHOTOGRAPH

<岡本中華の創業者>
岡本清一と妻フジエ

<岡本中華の二代目>
二代目 岡本清と妻・一希

創業当時、小松島駅前で屋台を引いていた頃

華月 岡本と呼ばれていた時期です。
初代 岡本清一と娘です。

木造から鉄筋に建替えた店舗

今は廃駅となった小松島駅前にて

崔洋一監督と地元小松島出身の大杉漣さんと

前店舗での最後の営業日です


<現在の岡本中華>
平成16年2月開店時

嶋 大輔さん来店の時